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伝説から事実へ…

 

昭和初期の新築か、はたまた、辰野金吾設計の堺大浜潮湯別館の移築かという両者
の説は新聞紙上でとりあげられ物議を醸した。
きわめつけは関西TVニュ−ス(ホット関西)2002年9月25日の特集に「山あいの旅館は
明治の名建築か?」というタイトルでとりあげられ、偶然にも、その翌日に南海電気鉄道
株式会社本社から、昭和十年の日付の入った建物引渡し状が発見されたことだ。
以下の文書を持って、南天苑建物が、間違いなく潮湯の移築であることが立証され、
伝説は事実となった。



 
 
今回、南海電鉄より発見された建物竣成引渡し状。記述に「大浜潮湯家族湯を天見
温泉旅館に移転改造増築外...云々」の文章が続く。
これとともに当時の天見温泉付近見取り図が発見されたことによって、「潮湯」移転先が
当館の地であることをさらに確証づけられた。

 
 

下図の大浜公園見取り図と比較すると、建物の向きは逆になっているがL字型の基本
的な構造は変わらない。赤斜線部分は増築部分で、潮湯当時は建物内に小浴室を6室
完備していたが、それを和室小間とし、連結した平屋浴室を増築している。





 
 ●読売新聞 2002.9.28
  2002年9月12日の第一報で、「辰野金吾設計強まる・河内長野の旅館・南天苑」を
  報じた読売新聞にて、同9月28日付で「辰野金吾設計説・移築裏付け資料見つかる」
  との続報を掲載。
  同じく関西TVニュ−ス(ホット関西)でも続報として、
  同10月1日「あの旅館はやはり名建築だった」 として放映された。
 


(やかた)への思い…
 私自身、この建物内の一室で生を受け、庭園でチャンバラごっこをして育った。
しかし旅館経営者としての父母の労苦を、いやというほど後姿を通して見知っていた
私は、家業を継ぐのがいかにも重苦しく、学校を卒業してからは家を飛び出した。今
にして思えば、気の弱い話かもしれないが、この館の持つ得体の知れぬ重力は、若い
ひよわな神経には、耐えがたいように思えたものだ。数年間の会社勤めの日々を送っ
た後、健康で気丈夫な女将である母親の病いの報を受け、帰郷し、今日に至ってい
る。
 このたび当館が、明治大正の名建築家の設計であることが立証され、私自身が驚きと
ともに事実を受けとめた。そして柴田先生をはじめ、献身的に調査いただいた多くの
方々に感謝の念がたえない。「歴史的価値のある建物の保存は、その所有者の意志が
最も大切なことだ。」ということを、柴田先生をはじめ、多くの方々からお聞きした。私自
身は、もとより当館を建て替える意志はなく、むしろ、昭和40年代に先代である父が改
装した部分を、もとの創建当時の原形に戻すことを考えていたので、各氏の貴重なご意
見はたいへん参考になり、共鳴できた。
 先に述べた通り、現代の住空間としての快適性を、歴史的な建築との融合を図りつつ
追求してゆく作業は容易ではない、零細な私どもにとっては、過分な試みになるかもしれ
ない。しかし、創建当時の優美さの復元と、現代快適空間の創出は、古代の遺跡を発掘
し、ひとつひとつ、現在の技術を以って修復してゆく作業にも似ていて、この館に帰って
きた当初から、私にとっては快感とも思える生きがいを感じている。いつ尽きるとも知ら
ぬ気の長い作業になるとは思うのだけれど、自分のライフワ−クとして成し遂げていき
たい。そしてそれが今、現在、南天苑を支えていただいている、 多くのお客様の期待
に、お応えできる当館最大の課題だと認識している。


                                           2002.10.5
                                              店主








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