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店主思い入れの地探訪
― 滝畑・天野山金剛寺 ― (河内長野)
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”はじめまして”
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滝畑民俗資料館
民家棟にて
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シリーズ第2回目を迎えました。今回は南天苑の
フロント三人娘が取材に行って参りました。
まず、滝畑からご紹介致します。
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●●● 滝畑民俗資料館 ●●●
昭和56年、滝畑地区にダムが建設された影響により、この地区に伝えられてきた、数多くの文
化財を保存し、活用できるようにと、資料館が建設されました。
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民家棟(旧梶谷家)外観
滝畑地区の民家は、大阪府下には見られない『妻人横割型』という間取りが特徴で、17世紀頃からみられ18世紀には一般化していたそうです。中はひんやりと気持ちよく、今ではほとんど見られない夏の風物詩、蚊帳や、当時の食卓の様子を復元したもの(写真上)などがありました。
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工夫を凝らして、生活をしていく。子ども達も一緒に手伝いをして、助け合って生きて行く・・。今では、便利さと引きかえに、目に映らない大切な何かを、私達は失ってしまったように思います。写真は古い農具と無邪気に戯れるフロントの新人、さおりちゃん。
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取材の移動中、ダムに沿って走る車の窓からは、きれいな緑の山がずっと続いていたのでした。
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忙しい..と云いながらついて来た店主。滝畑に伝来の”力石”を持ち上げる...の図。
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●●● 福玉山 光滝寺 ●●●
滝畑の最も奥、石川の東岸にあり、欽明天皇(飛鳥時代)の御本願により行満ぎょうまん上人
が開いたと、伝えられています。
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周辺は、動植物の種類も多く、恵まれた自然環境にあるため、市の名勝として、指定されています。木下闇の中、坂道を登ると光が射す寺の入り口へ。
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炭焼不動堂
境内には本堂の後に、生業と深く結びついた不動堂が建てられました。白炭の製法が村人に伝わり、戦国末から江戸時代にかけて、茶道の降盛に伴い、堺方面に移出された茶席の白炭を、滝畑炭と称されるまでになったそうです。
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●●● 滝畑48滝 ●●●
光滝、大滝、御光滝、荒滝など、大小さまざまな滝があり、昔から滝畑48滝として知られていま
す。光滝は、寺名(光滝寺)の由来にもなっており、修験道の開祖、役行者えんのぎょうじゃが
この滝で修行をしたと伝えられています。
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近くの滝を見に川の中を渡る、白い妖精・・(?) |
あどけない少女のように川原を走るゆみ先輩。ウゥン..コケたらイイノニィなあんてウソです。
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●●● 天野山 金剛寺 ●●●
ここからは、”女人高野・天野行宮”(南北朝時代、後村上天皇の行在所となり、以後南朝3代
にわたる行宮となったことから)の名で知られる、天野山金剛寺を紹介していきます。前回ご紹
介しました。観心寺とならぶ河内長野市きっての名刹であります。奈良時代の僧行基が開創
し、後に、弘法大師が密教の修行をした地と伝えられています。国宝、文化財も数多くありま
す。
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河内長野駅前からバスで約20分、金剛寺の最寄のバス停は『天野山』だが、一つ手前から降りて少し歩いてみる。
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楼門(重文) |
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塔婆(多宝塔・重文)
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室町時代に造られた庭園 |
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南北両朝の、天皇上皇が観月されたところ。ここから見える月に、どれだけの真の心をうつしては、癒されたのでしょう。毎年9月に邦楽、詩吟などが行われる、観月まつりが年中行事とされています。
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回廊の中の陰影と外のまぶしいくらいの新緑のコントラストが美しい、その中に溶け込むように、そっと思索に耽っているのは今回のライター脇でした。 |
<第1回 店主思い入れの地探訪TOP 第3回>
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