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店主思い入れの地探訪



  


第3回 楠木正成を追っかける(その一)



●河内長野市市民祭りと楠公武者行列(河内長野市)●

 河内長野市の市民祭りは毎年5月の休日に開催される。
警察のブラスバンドが先導しバトントゥワリングやブラジルサンバチームのダンスが続く
とても賑やかなものだ。ミスマッチだが、鎧、兜の武者達はそのあとをきわめて地味に行
進してくる。パレードはその前半とは対照的な静けさに包まれ、千代田中学校から赤峰
広場にむかうその道程は武者達を西日で照らし、600有余年前の楠木軍の行軍の姿
を彷彿と脳裏に浮かび上がらせる。武者の行進に合わせて打ち鳴らされる銅鑼どらや
鉦かねの音が心に染み入るように響く。

    

    




●楠公誕生地(千早赤阪村)●
楠木正成は永仁2年(1294)に現在の 大阪府千早赤阪村水分に生まれる。幼名を多聞丸といい観心寺(..探訪第1回)の中院で滝覚御坊から学問を学び、加賀田の大江時親から兵法を学ぶ、元弘元年(1331)後醍醐天皇の笠置山の挙兵に呼応し同じく討幕の兵をここ千早赤阪の地で挙げた。時に正成は37歳。草深い山里の豪士の家に生まれ落ち、天下を揺るがす南北朝時代の柱石として活躍することを誰が予期しただろう。 


●建水分神社たけみくまりじんじゃ(千早赤阪村)●
 建水分神社の創立は古く人皇第10第の崇神天皇の
5年、天下飢疫の際勅して金剛葛城の山麓に水神を
祭られた。楠木家の氏神でもあり、正成はこの神社を
背景に地域一帯の田地の分水権を支配していたと云
う。現在の社殿は建武元年(1334)に正成が水越川
のほとりにあった社を移して再建したもので本殿は国
の重要文化財に指定されている。



●建水分神社境内の十薬●
 湊川の役の直前に、桜井で親子の別れをした正成の長男政行まさつらは幼いとき、この境内で遊んだという。その頃にも十薬の花は咲いていただろうか、訪ねた日の境内は人影もなかったが精緻なほどに整備され清掃がゆきとどき、周囲の緑とよく調和していた。神社自身の歴史と伝統はもちろんのことだが、地域に住む人々の伝統的な信仰と献身的な協力なくして、こうはできないものだと思う。


●下赤坂城址(千早赤坂村)●
元弘元年秋、正成が笠置山の後醍醐帝と連携して挙兵した下赤坂城址。幕府軍の兵力を笠置山から分散させるための陽動作戦と云われている。実際、城址に立ってみてもだんだん畑の丘陵といった程度で、とても長期の籠城に耐え得るものでないことは素人目にも分かる。河内の兵500余りがここに立て籠もり、おそらく生まれてはじめて群れ広がる万余の大軍を目の当たりにしたのではないか、正成はさまざまな奇略で善戦するが笠置山陥落後間もなく自ら城に火をかけ攻囲を脱出、以後一年あまり姿をくらませてしまう。写真下は日本の棚田百景にも認定されている城址から見た棚田、田植えが終わった直後で美しく一番の見頃に出会えた。















●千早城跡●
翌、元弘二年十一月、正成、千早城に再び挙兵する。千早城は標高六六0米、三方を急斜面に囲まれ、東方が金剛山に通じる天然の要害である。私の思い入れは数年前に見た史跡の看板に書かれた太平記の引用文からはじまる。敵は百万騎、身方は僅かに千人たらずにて「誰ヲ憑ミ何ヲ待共ナキニ城中ニコラヘテ防ギ戦イケル楠木ガ心ノ程コソ不敵ナレ」この城を攻める鎌倉幕府の大軍は、正成の奇略と地の利の悪さに攻めあぐむことになる。かくして攻防百日、天下の形勢は大きく変わっていく。


●千早城大手口五百数十段の石段●
むろん南北朝紛争当時に石段などあるはずはない..
と思う。いかに大軍の移動が困難を極めるかは登って
みれば分かる。写真、前方を歩くのが当店女将、後方
は4月に観心寺を一緒に探訪していただいた伊丹市の
井上夫人。今回はちゃんとスニーカーを履いていらっし
ゃる。



●付近の山々を見る●
いずれも劣らぬ急峻な天嶮が続く。 





●千早神社●





●千早城四の丸跡●
みごとに何もない空間がそこにある。申し訳程度に武者の藁人形があるが時代考証ができているわけでもなく本音をいえばそれすら無いほうがよい。(御免)「思い入れ」を探訪するというのはその場所に立ってみて眺望や景観を楽しむのではない。また楽しませてくれるものを期待して行くのでもない。自らを内観することに目的がある。その時代、その人の、その瞬間の心中。気魄きはく、焦燥、恐怖、葛藤、ぎりぎりの精神状況の中で意志決定を行おうとする人の心の中に思いを致し、どれだけ自分の内面がその心の中に肉薄できるかどうかが重要なのだ。 


●笹百合●
 千早城からの下山中、井上夫人が笹百合をみつける。大和の率川神社では「三枝祭さえぐさまつり」と称し、毎年、笹百合を飾って華やかに行われるという。:さいぐさ(または、さえぐさ)、というのは百合の別名で、塞の神のサイと同じ意味を持ち、天上と人界をへだてる結界を示す言葉である..:と、白州正子さんの「草づくし」で読んだ。云われてみればたしかにそう思う。笹百合の美しさは花人、文人らにさまざまに形容され表現されるが、山路で思いがけず出会う一輪の笹百合はまた格別の趣があり美しい。この路はやがて天上に通じるのだと思えてくるからなのかも知れない。 




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