●下赤坂城址(千早赤坂村)●
元弘元年秋、正成が笠置山の後醍醐帝と連携して挙兵した下赤坂城址。幕府軍の兵力を笠置山から分散させるための陽動作戦と云われている。実際、城址に立ってみてもだんだん畑の丘陵といった程度で、とても長期の籠城に耐え得るものでないことは素人目にも分かる。河内の兵500余りがここに立て籠もり、おそらく生まれてはじめて群れ広がる万余の大軍を目の当たりにしたのではないか、正成はさまざまな奇略で善戦するが笠置山陥落後間もなく自ら城に火をかけ攻囲を脱出、以後一年あまり姿をくらませてしまう。写真下は日本の棚田百景にも認定されている城址から見た棚田、田植えが終わった直後で美しく一番の見頃に出会えた。
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