南天苑 天見温泉について お料理 お部屋 お料金 予約フォーマット 交通 特別プランのご案内
店主思い入れの地探訪 春秋歳時記 甘党あまみ庵のこと 店主ブログ 甘党あまみ庵ブログ Link English メルマガ会員募集中

店主思い入れの地探訪
◆第5回◆



−青洲 せいしゅう の里− (和歌山県那賀郡)


江戸時代後期、文化2年10月13日世界最初の全身麻酔による乳癌摘出手術が行われ、成功
する。執刀したのは、紀州藩名手 なて 荘、平山(現在の和歌山県那賀郡)の医師華岡青洲で
ある。アメリカ合衆国のロング医師がエ−テルを用いて実施実験を行う37年前、イギリスのシ
ンプソン医師がス−ベロ−の創製したクロロフォルムを使っての手術にさきがけること実に42
年前の出来事だった。



名手 なて へゆく
「青洲の里」に行こうと言い出したのは当館の先代の女将であり私の母親だった。「あんたも一緒に行かへんか?」「あんたも..あんたも..」と呼び集め、結局揃ったのは私の家内(現役当館女将)私の姉、叔母、そして私というメンバ−となった。考えてみれば有吉佐和子原作「華岡青洲の妻」の舞台であるこの地を訪ねるにはいかにも思わせぶりな顔合わせだとも言える。




大和街道旧名手宿
名手へは、南天苑のある天見から南海高野線で橋本まで約15分。橋本で乗り換えJR紀勢線で約25分、車窓からは紀の川や紀州山系が眺められ小旅行に出た気分にさせられる。ちなみに電車は2両連結で各駅停車。季節を選べば日常のコンフィュ―ズした脳内のリフレッシュにいいと思う。写真は大和街道旧名手宿の目抜き通り、と言っても今は鄙びていて郷愁を誘う。




● こじまばし●
生活用の小川には名手谷川と明記されていて、こじまばしという小橋が掛けられている。蒸し暑い日射のなか旧街道を歩く、日中さすがに人影はなく童女達が「ドラえもん」のテ−マを合唱する声がどこからともなく聴こえていた。華岡青洲の妻加恵は青洲の里平山へ嫁ぐ21(推定)の歳まで、この宿場町の格式ある本陣の娘として育った。往時はこの通りも紀伊、大和を結ぶ主要街道として旅装の人々で賑わっていたにちがいない。



● 旧名手本陣●
青洲の妻加恵の実家である妹背家住宅は、名手市場村にあり大和街道に面していたので藩主の参勤交代や鷹狩りのときの宿泊に利用され、以降本陣とよばれた。妹背家は中世以来紀伊八庄司の1つにあげられ、元和5年(1619)徳川頼宣が紀伊に封ぜられたのち地士頭の扱いを受け、また寛永7年(1630)からは名手組の大庄屋を世襲的に勤めるなど当時の有力な名家である。




● 陰影礼賛●
世に“伝統”といい“格式”という。言葉で
は簡単に言えるが実はその凄みはこの
屋敷の中の陰影にあるのだと思ってい
る。谷崎潤一郎の「陰影礼賛」を思わせ
るような空間。後に華岡家の嫁となり、
姑と競って自ら「通仙散」の人体実験を
申し出る加恵の少女時代の生活が垣間
見えるような気がする。




● ようおこしなして青洲の里●
母と叔母の老姉妹は名手駅からタクシ−で青洲の里(約7分)に向かったが私たちは徒歩でここに辿り着いた。(約25分)もっと鄙びた趣を想像していたが出迎えてくれたのはなんと玉 虫色のア−チ型ゲ−トで驚かされてしまう。奥に見えるのがマンダラゲをモチ−フに黒川紀章が設計したフラワ−ヒルミュ−ジアム。パン工房、レストラン、ショップなどもあり観光化されている。




● 春林軒主屋●
春林軒は麻酔手術の成功で全国に名声を得た青洲の住居兼病院・医学校で、この地で学んだ塾生は青洲の生存中に1,033名を数える。青洲は内科、外科は互いに連携し患者の治療にあたるべきであるとし、医学理論に基づき「客観」「立証」に基礎をおいた治療でなければならないという「内外合一・活物窮理」を説いた。青洲がこの理論に基づいて実験を繰り返していた1700年代、医学的な実験の概念は日本でも世界でも確立されていない。





● 曼荼羅華 まんだらげ ●
有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」では曼荼羅華の花はそのドラマの象徴的な場面、場面に描かれている。冒頭、加恵が八歳で初めて青洲の母である於継の姿を見た夏の日のこと。姑が夫に見せる態度に嫉妬し、憎悪に変わりながらも表面はなにごとも無きかのように反目し合う日々、その頃初めて青洲と曼荼羅華を二人で摘んだ雨の日の事など...。俗に「気違いなすび」と言われる曼荼羅華が青洲が約20年の実験を繰り返して創製した麻酔薬「通仙散」の主成分である、初夏に白い花を咲かせ、その実は栗のいがのようにように結実する。


● 春林軒内部●
春林軒は那賀町によって見事に復元されている。古民家再生のサンプルとしても興味深い。写 真は建物内部の土間から控え室、診察室、手術室を覗いたところ。最奥の手術室では文化12年の全身麻酔による乳癌摘出手術の情景が人形と音声で再現されている。この手術の成功後、青洲の噂は一気に全国に拡がり、諸国の患者とその付添人、入門志願者であふれ、春林軒を日本全国の外科医の寄るところとした。



● 垣内池●
「水みたば 心をこめて 田植えせよ 池の昔を思い忘れず」青洲が干害に苦しむ農民の困窮を救うため造ったといわれる垣内池、そのほとりに建つ石碑の碑文は青洲の自作自筆である。「医は仁術」というが、青洲の人格の幅を伺い知るに足る事業と思う。もちろんその業績の影に自らの身体を全身麻酔の人体実験に捧げた彼の妻と母親の存在を抜きにしては語れない。「命がけ」である。二度めの実験のあと加恵は後遺症の為か失明する。 





● 紀伊葛城山系●
「竹屋蕭然烏雀喧 風光自適臥寒村 唯思起死回生術 何望軽裘肥馬門」..唯思う起死回生の術、何ぞ軽裘肥馬の門を望まん..とは青洲が弟子の一人一人に送った漢詩の軸の内容である。享和2年、藩主は青洲を士分に列し帯刀を許し、侍医(天皇の診療に当たった医師)となることをすすめたが青洲は固辞した。自分の本文は庶民大衆の病気治療にあり公職に就いてはそれが行えないというのが理由である。竹屋蕭然..風光自ずから寒村に臥すに適すとは、春林軒から見た紀伊葛城山系の眺望や自然を愛し、自らの信念を貫く青洲の自然体から発せられた言葉と思える。






参考文献:「華岡青洲の妻」有吉佐和子:新潮文庫




このコーナーに関するご意見、お気づきの点がございましたら下記までお知らせください。

メール nantenen@e-oyu.com

<第4回 店主思い入れの地探訪TOP 第6回>